在日韓国・朝鮮人高齢者年金訴訟
これまでの経過
在日無年金問題をご存知ですか?
第二次世界大戦の時に、日本の植民地政策のために、土地を奪われたり、きつい課税を課せられたりして日本に渡ってくるしかなかった韓国・朝鮮人一世の人たちは、戦前・戦中からずっと日本で働きつづけ、税金も納めてきました。
ところが、以前は国民年金から外国籍の人は閉め出されていたために、歳をとった今も一切年金をもらえず、身体をこわして働けなくなるまで、70歳になっても80歳になっても働かなければなりません。(また、一部の障害者も同様です)
これは制度上の問題であって、本人には全く何の責任もありません。何らかの救済措置が必要であることは、国会でも何度となく指摘されていますし、国連の人権委員会からも早急な解決を求める勧告が出ています。ところが、国民年金法から国籍条項が撤廃されてから25年もたつというのに、今もまだ何の措置もとられずに放置されたままなのです。
各地で起こる在日無年金裁判
2000年、京都で在日無年金障害者らが国を相手に裁判を起こしました。
それがきっかけになって、2002年には大阪で在日無年金高齢者らが、2003年には京都で在日無年金高齢者らが、そして、2007年には福岡で在日無年金高齢者らが、同じように裁判に訴えました。
これらの在日無年金訴訟の中で、様々な矛盾が明らかにされていきました。
日本国憲法でも、また日本も批准している難民条約や国際人権規約でも、自国民も外国人も平等に扱わなければならないことが定められています。なのに、「外国人であることを理由に年金をもらえないでいるのは、それらの法律にはっきり違反しています。
オモニたちの証言
●父は最初九州の炭鉱で、タコ部屋のようなところで、奴隷のような扱いを受けていた。戦争が終わって、私もみんなもやっと帰れると思いつつ、朝鮮全体が安定しておらず、住んでいた土地もどうなっているのかわからない状態で帰るに帰れなかった。私は10年以上も年金の保険料を払ってきたが、期間が足りないということで掛け捨てになってしまった。私は今福祉を受けて生活している。私たちが何故日本に定住し、何故こうした生活をせざるを得なくなったのかをどうしても伝えたい。
●母の親せきを頼って大阪の高槻に来たが、差別が厳しくて、1年もたたないうちに京都の西大路七条あたりに引っ越した。仕事は土方や、馬車でゴミを運ぶ仕事をしたが、生活はとても苦しかった。戦争が終わって仕事がなくなり、東九条に住んでくず鉄やボロ布を集めて売ったりした。その仕事がだめになって家を追われた時は寒い冬に子どもを抱えて外で寝たこともあった。みんなのためと思って裁判でがんばっている。
●尋常小学校に通わせてもらった。名前を笑われたり、チョーセンといじめられたこともある。日本国籍でなくても国民年金に加入できるというような話を役所から聞いたことはないし、そのような通知ももらわなかった。私は年齢も足りないために特別給付金ももらえない。働かなければ生活できないから、今も働いている。
日本でずっと働いて、税金もずっと納めてきたのに、年金はもらえず、今でも働いている。私たちの訴えをきちんと聞いて欲しい。
何故年金をもらえないのか?!
在日一世たちが法廷に訴えた!
日本には、今多くの在日韓国・朝鮮人が暮らしています。その大部分が、日本の植民地政策のために本国では生活していけなくなって、戦前、あるいは戦争中に日本に渡ってくるしかなかった人々とその子孫です。戦後ももはや本国には帰れる場がなく、そのまま日本社会で身を粉にして働き続けてきました。言わば、日本社会の発展を底辺で支えつづけてきた人々です。
ところが、その在日一世たちは、歳をとっても年金がもらえず、何歳になっても働き続けないと生きていけません。そうして身体を壊し、苦しい生活のまま亡くなっていく人が多くいます。
何故、年金をもらえないのでしょう?
「日本人じゃないから?」・・・1981年に法律は改正されて、外国人でも年金制度に加入できるようになっています。ところが、最も年金を必要としている高齢者や障害者は閉め出されたままになっています。
「制度上の谷間の問題?日本人だってある?」・・・これまで、年金の対象が広まる時は、そうした谷間の人々を救済するための措置が必ず作られてきています(沖縄や小笠原の返還の時、中国残留邦人の帰国の時など)。ところが、外国人の場合だけ、その救済措置が作られず、放置されたままになっているのです。
また、日本人の無年金障害者を救済するための特別給付金法が2004年に作られましたが、在日外国人の無年金障害者や高齢者はそのまま放置されています。
厚生労働省への要望、国会への請願、二十年以上に渡って、無年金在日障害者や高齢者は「自分たちも年金がもらえるようにして欲しい」と要望してきました。今年も3万9千名の署名を集めて国会に請願を提出し、また厚生労働省とも交渉を持ちました。が、いい返事はなく、高齢者たちは苦しい生活のまま次々に亡くなっていっているのです。とうとうやむを得ず、2000年に在日無年金障害者たちが国を相手に裁判を起こしたのをきっかけに、京都、大阪で3件の在日無年金訴訟が争われています。
そのうちの一つ、京都の在日無年金高齢者訴訟が大きな山場を迎えました。5人の原告が証言席に立ち、戦前、戦後を通した自分たちの生活史を語りました。「生きた歴史の証人」から語られる生々しい戦後史の証言に、傍聴に駆けつけてきた多くの人々が 時には言葉を失い、時には思わず笑ってしまい、そして、そのあまりにも切実な訴えに皆が涙を流しました。
※第一審(京都地裁)の裁判は2007年9月28日で結審しました。判決は、2007年2月23日に不当判決(棄却)となりました。
京都地裁は、歴史的経緯や原告らの心からの訴えを無視した上で、「福祉の財源が限られている中で、外国人よりも自国民を優先するのは当然」とする不当な判決を示したのです。何故『当然』なのかの説明や釈明は何も書かれていません。
憲法や難民条約、国際人権規約などに、明らかに違反する内容です。
原告団は大阪高裁に控訴しました。今後とも裁判を応援お願いします。
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